【早大】宮城誇南のwikiプロフィール!学歴・経歴や名前の由来も紹介!

早稲田大学の左腕投手として活躍する、宮城誇南(みやぎ こなん)さん。

浦和学院のエースとして甲子園で投げていた姿を覚えている方もいるのではないでしょうか。

「誇南」という名前も印象的ですが、読み方は「こなん」で、あの人気作品にも由来しているんです!

今回は、宮城誇南さんのwikiプロフィールをはじめ、出身中学・高校、早稲田大学での経歴や家族とのエピソードを紹介します。

目次

宮城誇南のwikiプロフィール!年齢・出身地・身長は?

宮城誇南さんは、沖縄県読谷村出身の左投げ左打ちの投手です。

2004年9月5日生まれで、2026年10月21日現在は22歳です。

項目内容
名前宮城 誇南
読み方みやぎ こなん
生年月日2004年9月5日
年齢22歳(2026年10月21日現在)
出身地沖縄県読谷村
所属早稲田大学野球部
学部・学年スポーツ科学部4年
ポジション投手
投打左投げ左打ち
身長・体重175cm・80kg
血液型O型
背番号18(早稲田大学)

身長・体重は、早稲田大学野球部の公式プロフィールに掲載されている数字を載せています。

高校時代の記事には173cm・73kgという紹介もありますが、大学でのプロフィールでは175cm・80kgになっています。

侍ジャパンの選手紹介で、本人が挙げているアピールポイントは、ストレートのキレと安定感です。

名前のインパクトに目がいきますが、野球では丁寧な投球で勝負する左腕なんですね。

宮城誇南の学歴・経歴は?読谷中学から浦和学院、早稲田大学へ

宮城誇南さんは、読谷中学校→浦和学院高校→早稲田大学と進んでいます。

地元・沖縄で野球を始め、高校進学を機に親元を離れました。

出身中学は読谷中学校!読谷ボーイズでプレー

出身中学は沖縄県の読谷村立読谷中学校で、中学時代は硬式野球チームの読谷ボーイズに所属していました。

野球を始めたのは8歳ごろで、侍ジャパン公式サイトでは、周りの友達が野球をしていたことがきっかけだと答えています。

小学生の頃にプレーしていたのは、地元の喜名キングです。

中学校を卒業すると、埼玉県の浦和学院へ進学しました。

高校から県外へ出た当時について、本人は早稲田大学野球部のブログで、不安もあったと振り返っています。

そのうえで、指導者や仲間との出会いに恵まれ、充実した3年間だったとつづっていました。

浦和学院高校ではエース!センバツ開幕戦で13奪三振完封

浦和学院高校では、2022年春のセンバツでベスト4に進みました。

なかでも印象的なのが、2022年3月19日の開幕戦・大分舞鶴戦です。

宮城誇南さんは9回を投げ、被安打2、13奪三振で完封勝利を挙げています。

スコアは4対0で、117球で最後まで投げ切りました。

大会の開幕戦からこの投球ですから、名前と一緒に記憶に残った方も多そうです!

実は、その前年の夏の甲子園にも出場しています。

ただ、2021年夏の日大山形戦では4番手としての登板で、投げたのは1回3分の2でした。

無失点には抑えたものの、本人はお母さんに、もっと長くマウンドに立ちたかったという思いを伝えていたそうです。

その悔しさを経て迎えた翌春に、今度は先発で完封勝利を挙げたという流れも胸に響きます。

高校最後の夏は、埼玉大会決勝で敗れて甲子園出場を逃しました。

侍ジャパンのプロフィールでも、野球人生で最も悔しかった出来事として、この最後の夏の決勝を挙げています。

早稲田大学スポーツ科学部へ進学!大学日本代表にも選出

高校卒業後は、早稲田大学スポーツ科学部へ進学しました。

2022年11月には、総合型選抜2群のアスリート選抜入試に合格したことが報じられています。

早稲田を選んだ理由には、東京六大学野球への憧れや、浦和学院と早稲田の先輩である小島和哉投手の存在がありました。

入学前のインタビューでは、同じ左腕の小島投手を目標にしていたことを話しています。

高校時代に歩んだ道の先に、目標とする先輩の姿があったというのは、進学先を知るうえでも外せないエピソードですね。

大学では2025年5月4日の立教大学戦で、リーグ戦初の完投・完封を記録しました。

さらに同年、第45回日米大学野球選手権の大学日本代表にも選ばれています。

合格した頃には、大学を代表する左投手になることを目標にしていた宮城誇南さん。

早稲田で経験を積み、日本代表のユニホームを着るところまで進んできました。

2026年は4年生で、背番号18をつけてプレーしています。

一球速報.comの選手紹介では、2026年9月24日にプロ志望届を提出したことも掲載されています。

宮城誇南の名前の由来は?母親と兄弟のエピソードも

「誇南」という名前には、沖縄への思いと「名探偵コナン」が関係しています。

読み方を知ると、つい作品を連想してしまいますが、実際にお母さんが「名探偵コナン」を好きだったことも命名のきっかけになったそうです。

それに加えて、南の島に生まれたことを誇りに思ってほしいという願いが込められています。

響きの親しみやすさと、地元への思いが一つになった名前なんですね。

家族については、2022年のセンバツ報道で、弟と妹がいる3人きょうだいの長男だと紹介されています。

  • 母親:千晶さん
  • 弟:志琉さん(しりゅう)
  • 妹:美来さん(ちゅら)

お母さんの千晶さんも、小学生の頃は喜名キングで野球をしていました。

宮城誇南さんは、お母さんと同じチームで野球を始めたことになります。

2022年春の甲子園では、千晶さんがアルプス席から息子の登板を見守っていたことも報じられました。

かつて自分が憧れた甲子園へ、息子が選手として連れてきてくれたというエピソードです。

沖縄を離れて進学した宮城誇南さんですが、名前にも野球の原点にも、地元や家族とのつながりが残っています。

宮城誇南の球速や特徴は?キレと総合力で勝負する左腕

球速については、2026年2月公開の早稲田スポーツのインタビューで、本人が最速148キロと答えています。

147キロと紹介している記事もありますが、ここでは本人が語った数字と掲載時期をあわせて紹介しています。

ただ、宮城誇南さんが大切にしているのは、球速の数字だけではありません。

同インタビューでは、打者が分かっていても空振りするようなストレートや、実際の球速以上に速く感じる球を理想に挙げています。

2026年5月の取材でも、真っすぐのキレ、変化球、コントロールを磨き、全体の完成度を高めたいと話していました。

投球を見るときには、スピードガンの数字に加えて、打者の反応や変化球との組み合わせにも注目したくなります。

また、4年生になってからは、後輩の捕手に自分から声をかけることも意識しているそうです。

試合中は前のイニングを振り返ったり、自分のボールがどう見えるか聞いたりと、短い会話を重ねています。

マウンドで投げる姿だけでなく、周りとやり取りしながら投球をつくっているところも、大学生になった宮城誇南さんの一面です。

一方、2026年2月のインタビューでは、休日は寮でのんびり過ごすことも多いと話していました。

ライブなど予定があれば出かけるものの、普段は寮にいるほうだという話には、少し親近感が湧きますね。

まとめ

宮城誇南さんのwikiプロフィールや学歴・経歴を見てきました。

  • 沖縄県読谷村出身、2004年9月5日生まれの左腕投手
  • 読谷中学校・読谷ボーイズから浦和学院高校へ進学
  • 2022年春のセンバツはベスト4、開幕戦では13奪三振完封
  • 早稲田大学スポーツ科学部に進み、2025年には大学日本代表に選出
  • 名前には沖縄への誇りと「名探偵コナン」にまつわる由来がある

名前で覚えた方も、経歴をたどると、沖縄から甲子園、そして早稲田と日本代表へ歩みを進めてきた投手だと分かります。

お母さんと同じ少年野球チームから始まった野球人生が、ここまでつながっているのも素敵ですね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次